2019.3.14

春一番という言葉を聞いて、春一番という曲を作ろうと直感的に思ってしまった自分が、表現者として、曲(作品)を作る人間として、どこか悔しい気がする。◯

 

ところで、サークルの卒業ライブというやつに出演しました。

普段サークルでやるときの場所とは違い教室でのライブ。性格の悪いあの先輩(性格が悪いところをあそこまで魅力と感じれるのもいい意味で凄い)は相変わらず性格が悪かった事に安心を感じました。

変わった事と言えば学務横のトイレの手前の手洗い場の水が今まで出なかったのが直っていた事くらい。

ここのトイレをよく使っていた頃、外部の人がそこの手洗い場を使おうとして水が出ないのを見る度に何処からか優越感を感じていたのもすっかり逆転してしまったなあと感じてしまいました。

 

ライブの方は普段と違う環境で一番手ですがやっぱり手応えが掴みにくい。性格の悪いあの先輩は中途半端なライブしよったら殺すと言ってくれましたがやれるだけはやったと思ってます。100%出し切れたわけでは無いですが今の僕達のありのままって感じ。寧ろ100%出し切れたライブなんて今まで2回しかない。

 

その後はまた別の先輩と30分ほどお話。

もちろん内容は言えませんが今の僕達に一番大切な事を話し合いました。言われたのではなく話し合いました。

 

僕が一番お世話になった先輩達の代のサークルの卒業ライブも明日でラストになってしまいます。

最近は「機会があれば〜お願いします」「機会がなくて〜できなかった」を言ったら負け(何に負けかも分からないですが)という僕の超個人的な感覚も馴染んできて、今では機会は作るものだという感覚が当たり前になりつつあります。それを僕に植え付けてくれたのも今回卒業される先輩というのが悲しい。その先輩は山口にまだいるみたいですが。

 

このライブでどうしてもやりたかった「ケサランパサラン」という曲ですが僕の好きな人が違うまち に行ってもそこでまた歌ってほしいという想いと僕達がそのまち に届くような歌を歌うという想いがあります。そう、実はあの歌お別れの歌なんですね。ちなみに そのまちに届くように、というのは気持ち的な意味と物理的にそのまち まで歌いに行くという二重の意味で。

 

今のところ今回の卒業にあたって歌いに行かないといけないのは広島と熊本と大阪かなぁ。その機会を作ります。と思えたことがこの卒業ライブの僕なりの意味です。