2021.3.25

◯雑草の定義の1つに、「知識が乏しいために、名前を言う事ができない、多くの草。」というものがある。

勉強をしたり知識を深めたりすることで、何の意味も無い視界の一部が意味を持つようで、好きだ。◯

 

大学生活中の4年間過ごした山口を出た。山口から佐賀に行く途中に、自分にとって大切な場所がある。ただし、思い入れは少ない。

 

夕方の18時になるかならないかという時間にそこへ寄った。幸いにも、まだ明るい時間帯。幸いにも。

そこにいるうちに、18時を知らせる音楽がなる。童謡で有名なこの曲、なんだっけ、と思いながら1番だけで音楽は鳴り止んだ。

 

そこへ続く道を引き返し、車に戻る。途中、桜が1本だけ咲いている。と思った。

 

いや、これは桜ではない。足も止めずに考える。梅か、桃か、ピンクの花が咲いている。桜っぽい木の見分け方がTwitterで流れてきたのを思い出した。ああ、これが雑草というやつか。本質的には違うけど。

そういえば、この時期にここを訪れるのは初めてだったな。

 

 

花が咲いてようやく、視界の一部に意味が芽生えたのだ。しかし、まだその意味を全部理解はできない。

 

雑草を雑草と認識するのも、楽な事ではないみたい。そういえばそこには、あんまり雑草が生えてなかった気がする。

 

雑草を雑草と認識した誰かが、きちんと手入れしているに違いない。

2020.6.7

◯昔は、でっかいフェスに出たい!というバンドが多かったが、今は、売れるためにこういう戦略を立てて、こういう活動をしている、というバンドが増えた。

 

というツイートが流れてきた。

素晴らしい事だが、悲しくもある。自分も、後者であるよう努力してきたつもりだったし、後者でありたかったが、文面で見るとどこか切ない。◯

 

 

手の届かないような大スターに、人差し指1本で手の届く世界になってしまった。僕が一番好きなバンドのギターボーカルのインスタのストーリーにて、真夜中相談室というのをやってたので、◯◯の曲のaメロのコード進行はなんですかと聞くと、E♭から始まってオリジナルコードが続きますと返ってきた。

 

また別の日には、野田洋次郎がお酒を飲みながらインスタライブをしていた。

高校の時、固定のバンドとは別に、RADWIMPSの曲名を単発のバンド名にしてライブハウスでライブをしていたのだ。

シュプレヒコールとグラウンドゼロというバンド名だった。

どんな曲かパッとは思い出せなかったモヤモヤを解消するべくサブスク解禁後、その2曲だけ聴いたのだ。1番のaメロも聴けずに、サビまで飛ばして、サビが終わったところで止めてしまった。

 

 

大スターが大スターで無くなってしまうようだ。悲しい。悲しいたけ。

これは最近僕の中で流行っているしいたけ語。

 

 

 

僕だって、フェスに出たかった。3年前、当時組んでいたバンドの主催ライブのmcで、夢はワイバンに出る事です!と言った。それも叶わぬまま、来年の3月には山口を出てしまう。

そうだ、山口を出る前に、なかしゅーフェスを開こう。さらばなかしゅーフェス。そうすれば僕もフェスに出られる。

 

 

 

大スターは、僕だ。

2020.1.19

◯汚い話。おならをして、祖父のそれと同じ匂いがした時。僕も祖父と同じで、膵臓がんで死んでしまうのかもしれない、と本気で思う。この匂いが、祖父を殺したような気もする。◯

 

昨日の話。一区切りと言い逃れた主催ライブを終えた。来てくださった方、ありがとうございました。基本的に僕のバンドは嘘無しでやっているが、この気持ちが一番自信を持って本心だと言える。

 

ライブを終え、打ち上げを終え、家に着いてからメンバーと今後の話をする。約1時間して、結論が出る。ここで言うには野暮な気もするので、言うべき人や聞いてくれた人には直接会った時に伝えるつもりだ。

昨日来てくれた人達に感謝の言葉を伝えていると、次のライブを待っている、という言葉をいくつか頂く。対バンしたい、という声も頂いた。それが社交辞令か、本音かは、流石に捉え損ねてないはずだ。間違いない気持ちがほぼ全てだった。

 

ライブの前夜、バンドは全くしてない、何気ない人から明日のライブ楽しんでね、とLINEをもらった。それに対してありがとう、頑張ってくる、と僕は返した。

はて、ライブは楽しむものか、頑張るものか、どっちか分からなくなってしまった。

もちろん両方の要素を含んでいるとは思う。

 

長いこと、楽しいという土台をやや超えた体積分、僕は頑張ってきたような気がする。

「今」頑張っている、と思った事はないんだけど。

 

復活して、またライブが出来た時には、何も頑張らないでいよう、と思った。見てほしい人だけをライブに誘い、歌いたい事だけを歌い、言いたい事だけをmcで言うし、喋りたい人とだけ打ち上げで喋るのだ。

あー、早くバンドがやりたくなってしまったな。

 

 

 

2020.1.3に書いた下書き

◯箸の持ち方が汚い人と、歯並びがめちゃめちゃに悪い人とは心から仲良くなれないかもしれない、と感じるようになってしまったのが2019年。ちなみに僕は箸の持ち方が若干汚く、歯並びも若干悪い。◯

 

去年までは今年の振り返り、とかやってたんだけどしようと思わなくなったのも2019年。

なんだか、人の過去に極端に興味が無くなってしまった。というより気にならなくなった。2019年で一番仲良くなってプライベートで一番一緒にいたかもしれない人(達)は、僕の過去(ちなみに僕の過去には怪しい事や悲しい事は1つもありません、薄っぺらい人生なので)やらなんやら、一般的に話しにくい事は何も聞かないでいてくれた。それに関して絶妙な安心感を覚えたし、逆に相手に対しても気にならなくなっていた。

好きな人にも嫌いなところがあり、嫌いな人にも好きなところがある事が分かったからだろうか。それとも知り合いの8割くらいは、(語弊を恐れず言うと)どうでもいい人だと割り切れたからだろうか。どっちもかもしれない。

 

振り返りくさくなってしまった。

2020年は特に変わらない1年になると思う。一生の中で勝負しない1年があるはずないので「勝負の年」はあり得ないし、同様に一生の中で飛躍しない1年があるはずもないので「飛躍の年」でもない。「最高の1年」を簡単に更新していくと人生が薄っぺらくなってしまう気がするし。

 

 

そういえば去年の年末、軽音サークルを引退した。本当は最後のバンドのMCで言うつもりだったが、僕はギターコーラス故マイクが回ってこなかったのでここで一部供養しておく。

正直僕の入っていたサークルは、僕とは考え方が150度くらい違う人が大半を占めていて、前述したようにどうでもいい人が8割(そのままの意味で捉えないでね)いる中で、その根本の概念すらも違う人が多くいた。僕と仲良くしてくれる人がいたおかげで3年間楽しかったし、僕と仲良くはならなかった人がいたおかげで(皮肉ではなく)色々と学べた事があったと思っている。

これは、マジだ。

 

多くの後輩が、なかしゅーさん、引退したらもうサークルに来ないんですか、と言ってくれた。嬉しかった。

僕は、行かないよ、と言っておいた。僕はもう現役じゃないのだ。

みんな「老害」という言葉をよく使っているが、僕はよく意味を理解せず使いたくない言葉の1つだったので、「本来そこに来るべき人がマイナスの感情を抱く人」と勝手に定義している。要するに、OBが来たときに現役がマイナスに思ったら老害だ。

 

話を戻す。僕の事を好きでいてくれる後輩もいたが、嫌いでいる後輩もいたので、僕が行くと先程の定義に当てはまってしまう。100人中99人が僕の事を好きでいても1人が嫌いだったら行くべきじゃない。別に嫌われるのが嫌だ、とかじゃない。そういう人に何を思われても、マジで全く気にならなくなったし老害と思われても別に構わないが、そういうとこに気を使えない人間になるのが嫌という話だ。(他のところに気を使えというツッコミは受け付けません)

逆に100人全員が僕のことを「どうでもいい人」にカテゴライズしてたら僕は行ってたと思う。

 

まあ、そういうわけで僕は行かない。

 

ちょっと人間関係こじらせて何かに目覚めたような事を言ってしまったな。

SNSは無料で見れる他人のクソだ、と綴っていた、好きな作家の文を思い出す。まさに今のがそれだ。2020年は、強いて言うなら無料で見れるクソを量産しようかな。

2019.12.11

◯僕は金木犀の香りも分からないし、雨に対して特別な感情を抱いたりしないので、決して風流な人ではない。ただ、BUMP OF CHICKENの友達の唄を聞いてから、誰かと一緒に雨に打たれると、その人の大切な何かが垣間見えた気がするというか、どこか信頼されているような安心感を得てしまう。普通にきもいと思う。◯

 

こういう冒頭を、雨ではない日に書くのが僕だ。

 

 

夢日記を知っているだろうか。その日見た夢をただ日記につける、というだけだが、これを続けると精神崩壊するらしい。昨日YouTubeのオススメに出てきて得た知見だ。

しかしそれをせずとも、僕は何故か覚えているずっと昔の夢がある。みんなも一つや二つくらいはあるだろうか。

 

例えば小学生の頃、羽が生えて自由に飛べる夢を見た次の日に音楽の授業で「翼をください」を初めて聴いた日には、どこか予知夢のようで、自分が特別な人間なんだと勘違いしたし、女の子が檻に閉じ込められ、その子を必死に助けようとして、その女の子の名前を叫んでいた夢を見てから、この名前の人が運命の人かもしれない、と思い続けて10年以上が経った。その名前の人は今まで2人しか出会ってないが、どちらも運命の人では無さそうだ。もしその名前の人と結婚したら、自分は特別な人間なのだと、考え直そうと思う。

 

 

ところで、人がその日に見た夢を事細かに僕に教えてくれると、その人の大切な何かが垣間見えた気がするというか、どこか信頼されているような安心感を得てしまう。

 

 

あれっ、これどこで見覚えが…。

 

 

 

 

 

 

 

予知夢かな?

 

 

 

 

 

 

 

2019.12.3

◯客として行く場合のいいライブ(イベント)とは、僕なりの考えで言うと帰ってすぐギターを練習して、上手くなって、同じステージに立ちたいと思えるようなライブだ。

ギターを始めてすぐの頃、初めてライブハウスに行った日のギターに対するモチベーションは凄かった。今ではそうゆうライブやイベントに出会えるのは、良くも悪くも半年に1回くらいしかない。◯

 

僕のやっているバンドが1つの区切りを迎えた。僕らのようなありふれた地方バンド。

僕は人間でもバンドでも、人間味のあるのが好きだ。だからメンバーが脱退するとか、バンドが解散するとか、そういう時は喧嘩別れが一番理想的、というか、人間味があって好きだ。「良い」ではない、「好き」だ。まあ実際のところ、それなりに人間と人間がある程度大人なら喧嘩なんてそうそう起こらない(と僕は思っている)。

ただ、インディーズバンドのツイートでよく見る「やりたい事が〜」とか「解散してもそれぞれ別の道を行く〜」とかが凄く人間味の無い言い方だなと思っていて、個人的に得意では無かった。

 

僕らは、そりゃあ1年半もそれなりにお金と時間を使って、知らない人と会いまくって、初対面のバンドと馬鹿みたいにお酒飲んで、第三者にあれやこれや言われて、をやってると色々思う事もあるよね〜くらいの気持ちだろうか。

 

ただ12/1のライブのmcでも言ったように、それでもバンドはもうちょっとだけ続けてみるつもりだ。

その日のライブでは、恐らく過去一にいいライブができてしまった。語弊を恐れず言うと、これは皮肉とも言える。

 

悔しいという気持ちを1つも持たず、周南riseというライブハウスを後にできたのは初めてかもしれない。インディーズの憧れのバンドとは一通り同じステージに立ってしまったな。立っただけだったかもしれないけど。

とりあえず、それらの目標は一通り、旧メンバーで達成してしまった。新メンバーでは何をするのだろう、全然想像がつかない。

 

旧メンバーでのライブを見てくれた人達、ありがとうございました。多分お客さんが思ってる5倍くらい、ライブを見にきてくれる事は嬉しい。もう「ノルマが〜」とか「お客さんの入りが〜」とかそんな理由はあまりない。そりゃあ、ちょっとはあるけど。

 

新メンバーで始まる僕のバンドも、暇だったら見に来てください。暇だったらでいいよ、目撃してほしくもないし出会ってほしくもない。チラ見してくれ。

 

2019.10.30

◯自転車につけている4桁のナンバーロックは、一番右の「5」と「6」を入れ替えるだけの鍵になってからしばらくが経った。1桁目が6だったことは覚えているが他の3桁は忘れてしまった。人を忘れるときは声から忘れるらしい。◯

 

後輩からTwitterのDMの通知でレポートをする手が止まる。ライブの誘いだった。純粋に自分を見てほしい、という気持ちで呼んでくれるのが分かると予定をこじ開けてでも行きたくなる。その気持ちだけで集客しているバンドは、そうそういないと思っているからだろうか。

 

 

冒頭で書いた人を忘れる時は声から忘れるらしい、について。

僕は別に、人を覚えるのが特別得意だとは思わないが、小学校、中学校、高校の同学年の人ならほとんど言えそうな気がするし、幼稚園の頃の友達も割と言える。確か幼稚園の頃は5人組だったのだ。体操教室に行っていたりくくん、帰国子女?で異常なカリスマ性があったりゅうくん、お金持ちのよしとくん、はて、あと1人は誰だっけ、4人組だったような気もする。

幼稚園の頃の友達の声はすっかり忘れてしまったな。幼稚園の時の初恋の女の子は最近ボーリングのプロ選手になっていた。

 

ちなみに初対面で顔と名前覚えるの苦手なんですよね、と前置きをする人はちょっと苦手だ。

人見知りはそれ自体は素敵な個性なのに自分で言って喋れない理由にした瞬間その人の短所になる、みたいな記事も見た事がある。

要は言い訳する人間になってしまうってことだろうか。

 

今年大学を卒業した、僕に大きな影響を与えた先輩達。1人はまたバンドを始めたらしい。1人はバンドを辞めたらしい。1人は音楽ができないらしい。1人は緩く音楽をやっているらしい。

 

どんな偶然か、全員ボーカルだ。嫌でも声は忘れられそうにない。

僕も、もう少しバンドを続けることになりそうだ。