2020.1.3に書いた下書き

◯箸の持ち方が汚い人と、歯並びがめちゃめちゃに悪い人とは心から仲良くなれないかもしれない、と感じるようになってしまったのが2019年。ちなみに僕は箸の持ち方が若干汚く、歯並びも若干悪い。◯

 

去年までは今年の振り返り、とかやってたんだけどしようと思わなくなったのも2019年。

なんだか、人の過去に極端に興味が無くなってしまった。というより気にならなくなった。2019年で一番仲良くなってプライベートで一番一緒にいたかもしれない人(達)は、僕の過去(ちなみに僕の過去には怪しい事や悲しい事は1つもありません、薄っぺらい人生なので)やらなんやら、一般的に話しにくい事は何も聞かないでいてくれた。それに関して絶妙な安心感を覚えたし、逆に相手に対しても気にならなくなっていた。

好きな人にも嫌いなところがあり、嫌いな人にも好きなところがある事が分かったからだろうか。それとも知り合いの8割くらいは、(語弊を恐れず言うと)どうでもいい人だと割り切れたからだろうか。どっちもかもしれない。

 

振り返りくさくなってしまった。

2020年は特に変わらない1年になると思う。一生の中で勝負しない1年があるはずないので「勝負の年」はあり得ないし、同様に一生の中で飛躍しない1年があるはずもないので「飛躍の年」でもない。「最高の1年」を簡単に更新していくと人生が薄っぺらくなってしまう気がするし。

 

 

そういえば去年の年末、軽音サークルを引退した。本当は最後のバンドのMCで言うつもりだったが、僕はギターコーラス故マイクが回ってこなかったのでここで一部供養しておく。

正直僕の入っていたサークルは、僕とは考え方が150度くらい違う人が大半を占めていて、前述したようにどうでもいい人が8割(そのままの意味で捉えないでね)いる中で、その根本の概念すらも違う人が多くいた。僕と仲良くしてくれる人がいたおかげで3年間楽しかったし、僕と仲良くはならなかった人がいたおかげで(皮肉ではなく)色々と学べた事があったと思っている。

これは、マジだ。

 

多くの後輩が、なかしゅーさん、引退したらもうサークルに来ないんですか、と言ってくれた。嬉しかった。

僕は、行かないよ、と言っておいた。僕はもう現役じゃないのだ。

みんな「老害」という言葉をよく使っているが、僕はよく意味を理解せず使いたくない言葉の1つだったので、「本来そこに来るべき人がマイナスの感情を抱く人」と勝手に定義している。要するに、OBが来たときに現役がマイナスに思ったら老害だ。

 

話を戻す。僕の事を好きでいてくれる後輩もいたが、嫌いでいる後輩もいたので、僕が行くと先程の定義に当てはまってしまう。100人中99人が僕の事を好きでいても1人が嫌いだったら行くべきじゃない。別に嫌われるのが嫌だ、とかじゃない。そういう人に何を思われても、マジで全く気にならなくなったし老害と思われても別に構わないが、そういうとこに気を使えない人間になるのが嫌という話だ。(他のところに気を使えというツッコミは受け付けません)

逆に100人全員が僕のことを「どうでもいい人」にカテゴライズしてたら僕は行ってたと思う。

 

まあ、そういうわけで僕は行かない。

 

ちょっと人間関係こじらせて何かに目覚めたような事を言ってしまったな。

SNSは無料で見れる他人のクソだ、と綴っていた、好きな作家の文を思い出す。まさに今のがそれだ。2020年は、強いて言うなら無料で見れるクソを量産しようかな。