2019.5.9

◯「〜の匂い」というフレーズをよく耳にする。夏の匂い、君の匂い、雨の匂い…

君と雨はなんとなくわかるが、夏は残念ながらよく分からない。ただ蒸し暑いだけのアレだけは。

年中鼻は詰まってない方だし匂いに鈍感というわけでもないから、残念な気もする。

ただ春の匂いは分かる。あの臭いとも何とも言えない匂い。高校時代野球部で、グラウンドの横がちょっとした森だったのでこの季節はその匂いがきまって鼻をつく。

僕はその匂いを、「ぶどうの皮の匂い」と形容する。高校時代の友達は、「精子の匂い」「葉っぱを1ヶ月放置した匂い」と形容していた。恐ろしい奴らである。

お前普段何食っとんや、葉っぱ1カ月放置して匂ったことあんのか、とツッコミたくなる。

しかし山口に来て、あまりこの匂いを感じなくなった。もしかしたらアレは、松山の春の匂いだったのかもしれない。

現にあの匂いを嗅ぐ度、思い出すのは春のグラウンドで練習する前のランニング中なのだ。◯

 

今日は悲しい事が2つもあった。両方、誰かにとっては良しとしての事である。誰かが喜ぶ反面自分が悲しむなんて、なんて自分はちっぽけなんだと思う。

以下好きなバンドの曲の歌詞を引用、

 

人の幸せは 人の不幸の上 成り立つって?
僕がこのプリンを食べたら 死者でも出るのかい?

 

意外とこうゆう歌詞に救われるもんである。

 

僕も誰かを救ってやりたい。が、米を炊けるようになるのに18年もかかるような奴には何も救えやしない事を知っている。僕が救えるとしたら、19年以上米を炊いたこと無い奴くらいか。そんな奴、どっかにいないかなぁ、米が炊けた時のあの匂い、共有してやりたい。