2019.9.24

◯アフリカのどこかの国では、何かお礼をもらった時にお返しをする場合、やや多めか少なめに返す風習があるらしい。これは関係をそこで終わらさないように、今後も関係が続くように、という考えから来ているようだ。◯

 

夜に友達と待ち合わせており、ちょっと用事があるとの事で一緒に本屋に入る。雑談をしながら なんとなく尾崎世界観の『祐介』をレジに持っていった時、1000円の図書カードで600円のそれを払い、残りなんて今後使うかも分からないので読書家の彼にそのまま渡すか考えていた。冒頭部分の風習を思い出したのはこの時である。しかし図書カードには180円しか入っていなかった。友達は3冊の本を買っていた。

 

万引きしようとするとピーッと音が鳴るあの名前のよく分からない機械を通過して間もなく、「はい、あげる。明日、誕生日やろ。」と袋ごと渡される。流石に驚かされる。自分はSNSにある誕生日の情報は全て消しているのだ。それは人差し指で「誕生日おめでとう」と言ってくれる人よりこのような友人を大切にしたいという想いからでもある。皮肉めいた言い方をしてしまったが もちろん前者も嬉しい。変なとこめんどくさくて申し訳ない。

 

 

4日ほど帰省した中で、久々に両方の祖父母の家に行った。どちらも車10分で行けるところにあるが、高校を卒業してからは一度も行ってない。父方の祖父母は、マンションを所有している。幼い頃はそのマンションに住んでおり、よく従兄弟と駐輪場やゴミ置場で遊んだものだ。そのマンションに行くのは5.6年ぶりになるだろうか。なぜか駐輪場も、ゴミ置場も、酷く小さく見えた。首が90度近く曲がった祖父の、優しく垂れ下がった目だけは大きいままだった。

 

母方の祖父母の家も、一部屋、一部屋が記憶よりやや小さい。大きく思えたのは冷蔵庫くらいだろうか。

 

 

 

帰省する最後に会った、本をくれた友人は、別れ際に「人生で一番大切な感情はなに?」と投げかけてきた。まあ、そうゆう友人なのは察して頂きたい。形容詞で答えろとの事だった。

僕は1分ほど悩み、「嬉しい」と答えた。浅はかだとは思っている。家の前まで送ってくれて着いてしまっていたので、足早に会話を進める。「この質問、今までの自分が一番得た感情を答えてしまうんじゃないん?」と早口で言ったが、何と答えたのかは聞き取れなかった。

 

 

後になって思うのは、そんな質問より複雑な生い立ち、バックボーンを持つ彼の答えを聞いておくべきだったという事だ。

また帰ってきてその友人に会うのが「待ち遠しい」と思った。

2019.9.2

◯1つの事でも物でも、何かに対してこれだけは、という物がある人に魅力を感じる。僕もそれに近いものはあるが即答はできない。◯

 

僕は、後悔した事がない。いや、無かった。後悔は後からするものだとか、なんだかんだと言う格言みたいなのを見て、後悔しないように生きているつもりだったし、これだけ後悔エピソードがSNSやらなんやらで出回っていて、それでも後悔する人が正直理解できなかった。いや、他人から学べるじゃん、とうっすら思っていた。

 

 

後悔しないやり方は簡単で、少しでも興味がある物に関して、何かをするか しないか という選択肢がある時に、する を選び続けるだけだ。

あの時しておけば良かった、という後悔はあれどあの時しなければ良かった、という後悔は滅多に無い。

 

しかし、する を選び続けることは当然のことながらお金と時間を使う。

どこかで しないを選ばないといけないのは明らかでそのタイミングは今まで完璧だったと思っているし、もうどうあがいてもお金も時間もない、と言う人はたかが知れてるな、と思ってしまう。本当に好きなら、本当にやりたければ 何とでもなる、何とかなる、というのは古い考えかもしれないが あながち間違っても無いと思う。

 

この話をした唯一の人に後悔を生じさせられる事になったのは何とも皮肉だ。「1週間後に後悔するよ」と言われたのが蘇る。その1週間後、ややフライング気味にそれが実現する。

 

どうやら終わりは簡単に、来る。なんとなく分かっていた気もする。僕の大好きなバンドも、解散ライブとか解散しますとかは一切なかった。それが本当に美しい散り方だなとも今は思う。その人も同じだ。

 

 

少しだけ思うのだ。寿命を全うする事が、何かを本来続けられる最大まで続く事が良い事だとは限らない。それはあくまで価値観の押し付けなのではないか。一般的に、という一般人なりの考えだ。残念ながら一般、という言葉に納まらない人は、少なくない。決して一般人ではなかった その人なりの判断で、というなら僕は納得する。それをもし寿命を全うするのが〜と言う一般人がいるなら、僕は許せない。

 

 

 

 

伏線はいくつかあったが気づけなかった。

今思えば、というのだけが残る。

目に見えて残っているのは、その人からもらったギターだけ。

 

 

 

 

2019.8.21

◯新曲の歌詞を確認しながらバイトに行く。バイト先の2階の男子トイレは半年以上壊れたまま。裏口の電灯は壊れてからもう1ヶ月が経つだろうか。お盆に帰省したバイト生のお土産を頂き、6時間を約6000円で売る。そんな売買が今月は12回ある。◯

 

大体こんな冒頭で始まるブログは、クリープハイプを聴きながら書いている。

 

ギターのローンが引き落とせなかったとの電話を受ける。そんなはずはないと思いながらも仕方なく予想外の15500円をコンビニで支払う。と同時に今月と来月の極貧生活が確定する。今日は山口市にてワイバンの予習会をする予定だったが往復の電車1340円も痛いので欠席にさせてもらった。

 

バイト以外特に予定も無いので新曲を練る。

高校生の頃2年ほど飼っていたウーパールーパーをモチーフにした曲だ。確か平均寿命が5.6年。死んだその日に実家の庭の「カブトムシの墓」と書かれた割り箸が刺さったところのすぐ横に埋めた。

3年越しに、別の意味で掘り起こし、別の意味で日の目を浴びさせてやりたい。

 

 

 

 

 

 

カブトムシは、もうちょい待ってろ。

2019.7.29

◯昆虫が死んだら大体裏返る理由を知っているだろうか。

昆虫とは、6本足、頭、胸、腹に分かれている、やつらのことである。確か、理科の授業でそう習ったはずだ。

昆虫は、死んだ後しばらくして、死後硬直が始まるらしい。それが、イメージしやすいであろう足を内側に折りたたんだ状態。更にその時、昆虫は体の重心が後ろにあるので、バランスを崩して裏返る、とのことらしい。なぜかこの仕組みに僕はロマンを感じてしまう。みんなはどうだろう。◯

 

こんな事をふと思い出したのは、何を隠そう、セミが裏返っているのをちらほら見るようになったからだ。僕が「セミが場所も気にせず 仰向けで寝だす頃」という歌詞を書いてから1年が経つ。セミを見てその歌詞を連想する度に、去年どんなんだったかなーと振り返りたくなる。まあ、クソ暑かったなーとしか思わないんだけど。

 

 

 

僕の尊敬しているある人はこう言っていた。

「この曲聞いたら何かを思い出すってあるやん、俺も〜のあの曲聞いたら中学の時の修学旅行が思い出せるし、俺らは音楽で何かを思い出せる、それってタイムマシンに乗ってタイムスリップするのと同じ事なんよ。音楽ってめっちゃロマンあるよな。音楽に出来る事って、意外とある。やから俺らの初めて出したCDの名前は◯◯◯◯◯◯。」

 

最後の部分はあえて言わない、僕は意地悪なので。

ここで(あ、あのバンドのあの人や)と思えた人だけのお楽しみ。

 

まあでも、この感覚は、確かにある。よく言われるのは、失恋の話。僕はマイヘアとWANIMAの一部の曲を聴くと、どういった仕組みか胸が一瞬重くなる。

 

 

 

ふと現実に戻る。

明日はテストが3つあって、今すぐにでも勉強しなければならない。もし留年したら、今日聞いていた音楽を聞くたびに、今日を思い出すんだろうか。それなら、一番好きなバンドを聞いておこう、留年したとしても、いつかは思い出して笑えると思うので。

 

まあ留年しないけどな!!

2019.7.11

◯最近、なにかとシャーペンの芯が折れやすい。0.3を使って5年が経つのに。◯

 

ふと、ポストを確認する。最後に開けたのはいつか覚えてない。まだサンダルをおろしてない時期だった事は確かだ。

そこそこ重要そうな書類がチラシとチラシの間に挟まっている。選挙の投票のハガキ、ローンの料金明細書、ZOZOTOWNのツケ払いのハガキ…。残念ながら焼肉帰りの僕にそんなものは一切効かない。選挙があった事すらも知らない。あ、選挙には行った方がいいと思っている。

そんな中、思わず二度見したハガキが入っていた。

ゲオの延滞料金を払えと書いてあるハガキだ。

届いてから1週間以内に払わないと弁護士を通じて法的に訴える可能性があると書かれている。届いた日付は7.3だ。残念、1日遅かった。ざまあみろ。

 

小学生YouTuberの子が叩かれているのをツイッターで見る。「勉強なんて〜」と言ってる人で勉強できる人は見たことがない。できない事に対して できなくていい理由を言っている人には全然惹かれない。勉強に限らずの話なんだけど。

 

だらっとした1日だった、これが幸せか。

明日くらいには、ゲオにお金払いに行こうっと。

2019.7.5

◯短気は損気だと僕の祖父が言っていたのを覚えている。

「エレベーターに乗ってから階押すより先に閉めるボタン押す人は短期な人よ」と幼い頃母が僕に言ったのを覚えている。

ゆるりとした日常を送っている人は、それはそれでいいと思うが僕はそうは いかない。別に忙しいアピールしたい訳ではないが1ヶ月のスケジュールで何もないフリーの日なんて月に2.3日あればいい方だ。

エレベーターに乗ってから真っ先に「閉」と無感情に書かれたボタンを連打してから階数を押す癖がついたのはそのせいかもしれない。

扉が閉まり、加速度運動を感じる手前で、前述した母に言われた言葉がふっと頭をよぎるようになっていた。◯

 

musicFM論争がある。僕はこれに関しては自分の意見を持っているが叩かれそうなのでここでは言わない。

僕は残念ながらスマホに曲を入れるやり方が分からないため、スマホには1曲も入っていない。14の時に買ってもらったウォークマンを使って、多分その時からアップデートしてないxアプリ(今は名前が変わっているらしい)を利用している。数年前からbackボタンと右ボタンの反応が悪くなったが、決定的に壊れるまで僕はこれを使うだろう。

 

やや炎上したブログ(全然知らない人の)で、「music FMで音楽を無料で使う事に対して怒りの矛先を向けている人は、x videoなどでアダルト動画を一切見ないのだろうか、文化は変わりつつあるのだ、音楽は有料から無料の時代に転換しつつある、〜」

と書かれていた。

その意見が論点とは異なりつつも正当性はある、と僕は思っていたが、この話を前々回のブログで登場した先輩に話した。(吸血鬼になりたかった先輩参照)

 

すると、またもその先輩から衝撃発言が生まれる。

 

 

「俺はそんなの知らねーけど、俺は月額5400円払ってAV見てるよ。」

 

 

もう今日のブログは、ここで終わりたいと思うほどにインパクトのある言葉である。

5400円を使って1ヶ月avを見まくったって、2回ライブに行ったって、自由だ。

語弊を恐れずに言うと、何が有料で何が無料かを決めるのは、送信側であるようで実は受信側なのかもしれない。

 

今週末には3回目の主催イベントがある。

投げ銭イベントってのも、面白そうだな、とふと思う。多分しないけど。でもこのイベントだけは一切マニュアル化したくないのだ。全てをその時一番いいと思ったやり方でやる。

 

確か1回目の時に、このイベントで、色々発信してるから何か1つでも受け取って帰ってくれ、みたいなMCをした気がする。

もしエレベーターに乗って、まず「開」を押すような優しい人が生まれたら、イベントは大成功だ。

2019.6.23

新山口へ向かう電車の途中、停まった駅で5分後に出発するというアナウンスが流れる。イヤホンから街人というバンドが流れているがそれ越しにでも耳に入る。あ、このバンドとの対バンが決まりました。10/20、周南riseです。◯

 

急に母からのLINEがくる。「いつ帰ってくるん?」「ほんのちょっとやけど婆ちゃんが ぼけてきよるんよ」

僕は狼狽する。すぐに電話をかけて ぼけの具合を確認したが、現状そこまで問題はないようだ。日頃からぼけ対策で絵描き、麻雀、将棋などを嗜んでいた祖母。絵描き以外は大抵僕の方が上手だった。

 

ぼけが進行して僕が誰か分からなくなったら…と想像すると絶望する。僕はお婆ちゃんっ子ではないと思っていたが家が近所で両親共働きな事もあり、小学生低学年の頃から高校卒業するまで学校から祖母の家に直で帰り、晩御飯を食べ、ちょっとゆっくりしてから家に帰るという毎日があった。祖母の顔を見ないのは週末だけで、ちょうどよい距離感だった事も考慮すると、僕は自覚のない超絶お婆ちゃんっ子だったのかもしれない。自覚のない事というのは大体恐ろしいものだ。

 

さて、そんな祖母に忘れられるかもしれない という恐怖。身内、それもたまーに会うくらいの、ではなく頻繁に会っていて しかもしっかり面倒を見てもらっていた人が 認知症などにより自分の事を忘れる事を想像してほしい。耐え難い不安が込み上げてくるはずだ。

 

ふと高校の時に友人が

俺ぼけたら死にたいわ、絶対家族に嫌々思われながら介護されたくないもん、

と冗談で言っていたのを思い出す。

 

と、綴っているとちょうど街人のアルバムの最後の曲、コニカの歌詞の一部で「あなたの代わりは どこにも 見つからないよなあ」と流れる。

ふと聞いた時になんだかんだちょっと心が軽くなる歌詞は練りに練って作り出されたワンフレーズよりも、どこにでもあるようなワンフレーズなのかもしれない。スッと入ってくる感じが分かる。

ポルノグラフィティの曲で「100万人のために歌われたラブソングなんかに 僕は簡単に想いを重ねたりはしない」と歌う曲があった事を思い出す。僕もそうでありたかった。

 

祖母に向けた曲を作ろう、とぼんやり考えていると、1年だけ住んでいた家の最寄駅に停まったというアナウンスが僕の耳に届く。また街人が流れるイヤホン越しに。

特に何も考えなくても、思い出とかいう大袈裟なものじゃなくても、習慣だとか、名前だとかは、身体に刻まれているらしい。

ここまで祖母が僕の事を「忘れる」、「分からなくなる」と無意識に異なる表現していたが、

矢原駅を発車した瞬間に違いがハッキリとする。

 

多分祖母は僕のことは忘れないだろう。たとえ僕のことが分からなくなっても。