2019.9.2

◯1つの事でも物でも、何かに対してこれだけは、という物がある人に魅力を感じる。僕もそれに近いものはあるが即答はできない。◯

 

僕は、後悔した事がない。いや、無かった。後悔は後からするものだとか、なんだかんだと言う格言みたいなのを見て、後悔しないように生きているつもりだったし、これだけ後悔エピソードがSNSやらなんやらで出回っていて、それでも後悔する人が正直理解できなかった。いや、他人から学べるじゃん、とうっすら思っていた。

 

 

後悔しないやり方は簡単で、少しでも興味がある物に関して、何かをするか しないか という選択肢がある時に、する を選び続けるだけだ。

あの時しておけば良かった、という後悔はあれどあの時しなければ良かった、という後悔は滅多に無い。

 

しかし、する を選び続けることは当然のことながらお金と時間を使う。

どこかで しないを選ばないといけないのは明らかでそのタイミングは今まで完璧だったと思っているし、もうどうあがいてもお金も時間もない、と言う人はたかが知れてるな、と思ってしまう。本当に好きなら、本当にやりたければ 何とでもなる、何とかなる、というのは古い考えかもしれないが あながち間違っても無いと思う。

 

この話をした唯一の人に後悔を生じさせられる事になったのは何とも皮肉だ。「1週間後に後悔するよ」と言われたのが蘇る。その1週間後、ややフライング気味にそれが実現する。

 

どうやら終わりは簡単に、来る。なんとなく分かっていた気もする。僕の大好きなバンドも、解散ライブとか解散しますとかは一切なかった。それが本当に美しい散り方だなとも今は思う。その人も同じだ。

 

 

少しだけ思うのだ。寿命を全うする事が、何かを本来続けられる最大まで続く事が良い事だとは限らない。それはあくまで価値観の押し付けなのではないか。一般的に、という一般人なりの考えだ。残念ながら一般、という言葉に納まらない人は、少なくない。決して一般人ではなかった その人なりの判断で、というなら僕は納得する。それをもし寿命を全うするのが〜と言う一般人がいるなら、僕は許せない。

 

 

 

 

伏線はいくつかあったが気づけなかった。

今思えば、というのだけが残る。

目に見えて残っているのは、その人からもらったギターだけ。