2019.6.9

新山口駅で電車を待っている。そう、乗り換えというやつである。よく新しい地での乗り換えに慣れるとそこに馴染んだ事になる、みたいなニュアンスの歌詞を耳にする。すごくわかる。僕の地元では電車の乗り換えというのが無く、基本的な移動手段は自転車だったので山口に来てからは非常に困ったものだが、すっかり慣れてしまっている。乗り換えもできなかった頃の僕はいないと思うと、少し寂しい。◯

 

最近褒めて箱をツイッターでよく見る。

質問箱の派生で匿名でやる、あれである。

 

結論から言うと匿名での無機質なやり取りに絶妙な違和感を感じる。

 

別にやってる人を否定するつもりは全くない。興味もある。ただ褒めて箱に匿名で褒められて、仮にもプラスの感情を得てしまう自分がいる事を想像すると、もどかしくなって仕方がない。

ここ1年くらいで、自分の感覚とは違う人を特別嫌ったり、なんじゃありゃ、と思うことは極端に減って、こんな人もいるんだ、と納得する事ができるようになった。

 

繰り返すが褒めて箱やってる人をどうこうは全く思ってない。大事なことなので何度か言っておいた。

 

無機質というのは山口に来て非常に多く感じる感情である。ジョイフルにも感じるし授業に対しても感じる。ハイ、あげました。後はお好きにどうぞ、みたいな。言語化するのは難しいが簡単に言うと究極の受動。

 

 

ここで場所が変わって岩国ロックカントリー。オープン前。この時間は無機質にも有機質にもなる。ライブだけは、有機質でありますようにと、ふとそんな事を考えながら、あと8分でオープンである。

2019.6.3

◯前回の記事を書いた次の日の朝、はてなブログをアンインストールした。起きてすぐTwitterを開き、他人のブログを読んでいると、もしかして自分の想像している5倍くらい、このブログは痛いのではないかという恐怖に打ち勝てなかったからだ。だがそこで今までの記事ではなくアプリを消すという失態を犯してしまった先月21日の僕、笑ってしまう。そうして僕は、また復活するのである。◯

 

僕が今の大学に入学した時から、髪が肩の先くらいまであって結んでいる男の先輩がいた。学年は当時僕の1個上であったが、今は同学年である。もっと分かりやすく言うと留年した。

しかしそんな先輩が、昨年、急に断髪したのだ。

その時は、「お〜切ったんすね〜」くらいだったが、今日改めて何故切ったのか聞いてみた。

以下、その会話である。

「そういや先輩、今は短い方で見慣れましたけどなんで髪伸ばしてたんすか?」

「ああ、あれだよ、俺は吸血鬼になりたかったんだよ。」

「は?」

「?」

「うーん、じゃあなんで切ったんすか?」

「吸血鬼は童貞しかなれないらしいんだよ。」

 

 

 

おかしい。何かが、おかしい。

僕はこういう人が大好きで、こういう人は一定数いる事を知っている。

BBQで焼肉のタレ飲むぜー!とか焼けてない肉食うぜー!みたいな、 無理してるだけの やばい奴じゃなくて、本能的にやばい奴のことである。

 

生憎この先輩のヤバエピソードは他にもたくさんあるのだがヤバすぎる為ここには書けないやつも多い。

 

しかし、見てる分には普通に生活しているただの大学生である。多分だが、夜な夜な怪しいビルに入るような事はないし、怪しい人と怪しい会話をしているような事も、多分ない。多分。

 

僕が思うに、こうゆう人こそが、この世界の主人公なのだ。こうゆう人を見るたび、自分が主人公から遠のいてしまうようで悲しい。モブキャラが0で主人公を100としたら、自分は80くらいの位置だと思っている。が、主人公を見ると、どうしても悔しくなってしまうのだ。

 

ああ、そんな鬱憤を晴らすべく、今週末はライブをしてくる。その日は、90くらいには、なれるだろう。6/9、岩国ロックカントリー、初めての場所。ロックの日くらい、主人公になりたいぜ。

 

2019.5.20

◯最近あった言いことを口に出して話し合うとプラスな雰囲気を作り出せるらしい。最近教わった事である。たまに1番いい事は言わないでおく、みたいなキザな奴がいるが僕は決してそうではない。そうなりたいものである。

ちなみに最近あった良い事は時給が30円上がったことだ。◯

 

どうも。ここ1週間電車に揺られていない。ふと、電車に乗りながらシティーポップを聴く事がしてみたいと思ったのだ。ただどうも、こういうのが似合わないのは分かっている。

 

似合わないとは誰が決めたのだろう。僕/私コミュ障だから…のコミュ障、9割は自分でそう思っているだけの場合が多い。しょうもないなあと思ってしまうが、大学に入ってからこのセリフを20回は聞いたと思う。

 

そんなこんなで今日はサークルの楽器会。

新入生に2時間半1対2(終盤は4)、ギターを教える。

僕は自分が天才(ギターが、ではない)だと思っているので、こうゆうのはすごく上手いと思っていたが、どうやらそうでもない ということは去年のこの時期あたりに気づいた。まあ、いいじゃないの。

サークルの後輩からの「これどうやって弾くんですか?」の一言目は基本的に「気合い」で返す事にしているが流石にギターを買って間もない1年生にはそうも言えない。そうも言えない辺りがまだまだ作り物な感じがしてしまって情けなくなる。

 

僕は意外とまともな奴なのだ。

うん。

 

あ、冒頭部分の良い事。実はハチャメチャに良い事あったけど言えないってやつである。

2.3ヶ月後くらいに言えると思うので、乞う、ご期待、というやつだ。

 

この◯◯後に分かるよ、みたいなのウゼェ〜。

これでなるほど!ってなったの人生で1回もねえよ、と思いながらも、こう言う他にはないので、仕方がない。

 

2019.5.13

◯バイトや仕事をすることを、「社会の歯車になる」と表現されているのをしばしば見かける。ちなみに僕という歯車を1時間回せば930円になるらしい。先月までは900円だった。

ただこの歯車、入れ替えも負荷をかけることも容易く、代替品もたくさんあるのだ。同じ型番もたくさんある。まあ、それも良しとしよう、人の貴重な人生のうちの1時間を◯◯円と定量化されるのは納得いかないようで非常に合理的だと思うのだ。◯

 

この金土日はライブと映画を1本ずつ消化した。いや、人が魂削ってやってる事柄に関して消化という表現はまずかったかもしれない。

ただこのライブも映画も、非常に満足できるものだったのだ。両者にわかではあるものの、やはり全部が全部満足できるものかと言われると、そうではない。開始30分で再生を辞めてしまう映画もあるし、途中で抜けて帰ってしまうライブもある。

 

ところがどっこい、そのライブに関しては自分たちも主催をやってるためか、負けてられないという気持ちを起こしてくれたのである。今週には情報解禁できると思うので待っててくだされ。

 

この、◯時に情報解禁!というのは、バンドマンの想像以上に、フォロワーにはどうでもいい情報であるらしい。が、しかし、そこで告知した内容につく いいね やrtの1つ1つ、また、ライブに1人お客さんが来てくださるだけでも、これまたお客さんの想像以上にバンドマンは嬉しいものだ。

 

 

ところで、今日はお世話になっている楽器屋さんで新入生向けにデモ演奏をしてきた。

鳥肌がたった、信じられないくらい感動した、という声を頂く。僕は代替不可能な歯車になりたいと思った。

以前、このブログで人生で大切だと思っているのは感情の起伏と書いたが、誰かか何かにとっての かけがえのない歯車になること、これも大切な事に追加したいと思う。

たとえ 1時間歯車として回って1円にならなかったとしても。

 

 

2019.5.9

◯「〜の匂い」というフレーズをよく耳にする。夏の匂い、君の匂い、雨の匂い…

君と雨はなんとなくわかるが、夏は残念ながらよく分からない。ただ蒸し暑いだけのアレだけは。

年中鼻は詰まってない方だし匂いに鈍感というわけでもないから、残念な気もする。

ただ春の匂いは分かる。あの臭いとも何とも言えない匂い。高校時代野球部で、グラウンドの横がちょっとした森だったのでこの季節はその匂いがきまって鼻をつく。

僕はその匂いを、「ぶどうの皮の匂い」と形容する。高校時代の友達は、「精子の匂い」「葉っぱを1ヶ月放置した匂い」と形容していた。恐ろしい奴らである。

お前普段何食っとんや、葉っぱ1カ月放置して匂ったことあんのか、とツッコミたくなる。

しかし山口に来て、あまりこの匂いを感じなくなった。もしかしたらアレは、松山の春の匂いだったのかもしれない。

現にあの匂いを嗅ぐ度、思い出すのは春のグラウンドで練習する前のランニング中なのだ。◯

 

今日は悲しい事が2つもあった。両方、誰かにとっては良しとしての事である。誰かが喜ぶ反面自分が悲しむなんて、なんて自分はちっぽけなんだと思う。

以下好きなバンドの曲の歌詞を引用、

 

人の幸せは 人の不幸の上 成り立つって?
僕がこのプリンを食べたら 死者でも出るのかい?

 

意外とこうゆう歌詞に救われるもんである。

 

僕も誰かを救ってやりたい。が、米を炊けるようになるのに18年もかかるような奴には何も救えやしない事を知っている。僕が救えるとしたら、19年以上米を炊いたこと無い奴くらいか。そんな奴、どっかにいないかなぁ、米が炊けた時のあの匂い、共有してやりたい。

2019.5.7

◯大人と子どもの線引きはどう引くのが正解なのか、と考えることがある。大人っぽい人はよく見るが「ぽい」時点で多分違うんだと思う。ただ人生を上手いこと生きるには何歳になっても子どもと大人を使い分けるのが大事なんじゃないかと思うようになった。僕のようにお年玉をもらう反面バイトでしっかり稼ぐような無意識的なものではなく、意識的に。と、最近楽しそうな大人を見て思うのである。◯

 

あれ、ライブブログなのになんでブログ書いてるの、という質問がもしあれば僕はばつの悪い顔でただじっと黙っていなければいけない。そう、書きたいことは普段から溜まってるので書きたいときに書こうと思ったのだ。そう言うことは歌にしろよと言われると、これまたむすっとした顔でいることになる。

 

まあ、いいんです。僕らの歌は社会に対する不満や思ったことを真っ直ぐぶつけるようなものではなく、そう言うことを思いつつ、言葉にも歌にもできなくて行き場に困ったやつらを、僕らだけの世界線の上でヒソヒソと喋るように歌ってやる歌なのです。ライブ中に中指を立てなくなってからしばらくが経ったし、眠れない夜に私、ブルーハーツは聞かない。独り占めしたいものも、今はないしね。

 

gw中何したかな、と思いつつ1日ずつ書き連ねてみる。

ライブ、ライブ、映画、ビール、ライブ、ライブ、ライブ、ライブ、映画、ライブ。

多くの人が驚くと思う。自分でも驚く。ただ最近の僕と言えば本当に上に挙げた3項目がほぼ全てを占めている。ちなみにビールはテキーラとか日本酒とかのチェイサーとして以外ではあまり飲めない。

 

多分みんながこれやると旅行、旅行、旅行…みたいなのとバイト、バイト、バイト…みたいなのに2分するのではないかと勝手ながら予想している。多方面から怒られそうだが割と本気で思っている。何が言いたいかと言うと、他の人のgwの予定なんか、どうでもいいということだ。僕はgwが死ぬほど楽しかったのだ。

 

こんな誰にも理解されないような事が、誰かにちょっとだけ理解してもらえるようになる歌を歌いたいんだよ、僕は。

誰にも理解されなくていい、と言えば嘘になる事を僕は知っている。理解されない事や評価してもらえない事は、恐ろしく辛いのだ。

ただ贅沢は言っても仕方ないので少し妥協してやるわけである。

 

ああ、今まで本編は敬語だったのに、ついに自由になった。まあ、これでいいのだ、ははは。

2019.5.2

◯電車の中、本を読んでいる。扉が開いて入ってくる5歳くらいの女の子が、僕の足にひっかかって転ぶ。限界まで引いてたんだけどなあ、と思う間も無く起こった出来事、即座に隣に座っていた高校生が、その子の親に大丈夫ですか、席代わりますよ、と詰める。途端に罪悪感を感じ、じっとしている僕。その後僕が降りる1つ前の駅でその高校生を含む4.5人のグループが無賃電車で降りていく。次の駅、僕が降りる時には無賃電車をしていた人が捕まっていた。

良くも悪くも、世界はなかなか上手いこと回っているらしい。◯

 

さて。昨日は2days四次元とriseの交換イベント2日目。出番はトリを頂きました。

良いライブができたと、久々に3人で同じ意見になりました。ただ、CDを売り出して、トリを貰うことが増えて、気づくことがある。必ずしも、僕達の手応えと、お客さんからの見え方は一致しない。それは当然と言えば当然、ですが、CDが物販に並んで、トリを頂いて、より現実味を増して目に見える形として僕達と向き合ってこようとする。

そしてそれが、僕達の「今の」限界点であり、伸び代でもある。と、考えざるを得ない。

 

ただ、交換イベント、演者の方は最終的に仲良くなれたし、全体の雰囲気としてライブも素敵なものが作れたんじゃないかなと思います。

また対バンしたいバンドが増えました。

 

バンドに勝ち負けはないけどライブに勝ち負けはあると思うんです、僕は。ただそこまで強く意識する方ではないと思っていますが少なからずそういう要素はあると思ってて、だからこそまたやりたいと思います。同い年、更に誕生日も同じ、ギターボーカルも同じ、そこまで同じだからこそもう一度やりたいと思うバンドができました。

 

最近は「もう一回」対バンしたいバンドが多すぎてどうしようもない。それを実現するとまた対バンしたいバンドができる。の、繰り返しになりつつある、というかなってます。

だから辞められないんでしょうか、まあ、それは別の話か。

でもその繰り返しが美しくて、楽しいのかもしれない。その繰り返しが、どこか別の形でお客さんに繋がる事を願いたい。ただそれは演者からのお客さんへの一方的な押し付けな感じもしてしまうのです。むずかしい。

うーん、なんとかもう一つ、世界がうまく回ればいいんだけどなぁ。